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旭川地方裁判所 昭和32年(わ)340号 判決 1958年7月19日

被告人 伊藤克也

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は、本位的訴因を「被告人は昭和三十年四月一日から雨竜郡幌加内村開拓農業協同組合の組合長理事の職にあつたが、昭和三十年十二月二十日右幌加内村開拓農業協同組合所属のヤウンナイ、下幌加内、新成生、平和の四団地の代表者として組合名儀を以て、右四団地のため、札幌開発建設部長との間に、「幌加内地区農地開発建設工事普通客土工事」(工期自昭和三十年三月二十一日至昭和三十一年三月三十一日、請負代金合計二百五十四万二千六百十三円)を請負い、右四団地内の客土工事の施行及び団員のため工事費の受領、支払等の業務に従事していた者であるところ、昭和三十年十二月三十日頃、右工事請負代金の一部として八十七万円を、昭和三十一年四月二十日請負残代金として百六十七万二千六百十三円を右開発建設部より支払を受け、一括して右四団地の客土工事に従事した佐藤松雄外約七十名のために業務上保管中、(一)昭和三十一年三月六日頃、幌加内村字新成生の自宅において、石塚武夫に対し、擅に右工事費の内から二万円を、同人に対する農林漁業資金として交付し、(二)同年五月二日頃、右自宅において右石塚武夫の妻石塚ヤエに対し、擅に右工事費の内から一万七千九百七十円を前同様石塚武夫に対する農林漁業資金として交付し、(三)同年四月二十日頃、右幌加内村役場内において、南谷周一に対し、擅に、右工事費の内から四万円を右同人の長男南谷一三に対する住宅補助金として交付し、(四)同年五月二日頃、右役場内の開拓農業協同組合事務所において、奥田孝昭に対し、擅に右工事費の内から二万六百円を、同人の弟奥田孝一に対する営農資金として交付し、以てそれぞれ横領したものである。」と謂い、予備的訴因を、「被告人は昭和三十年四月一日から雨竜郡幌加内村開拓農業協同組合の組合長理事として同組合の業務を統括し、傍ら同組合が同村ヤウンナイ、下幌加内、新成生、平和四団地の農民佐藤松雄外七十一名のため、札幌開発建設部長との間に、同部長を注文者、同組合を請負者として締結した「幌加内地区農地開発建設工事普通客土工事」請負契約(工期自昭和三十年十一月二十一日至昭和三十一年三月二十一日、請負代金二百五十四万二千六百十三円)に関し、工事代金の受領保管、前記佐藤らに対するこれが支給配分等の業務に従事していたものであるが、その事務を処理するに当つては、現実に当該工事に従事した農民に工事代金が、迅速且つ確実に配分されるよう処理すべき義務を有していたにも拘らず、前記工事代金として、札幌開発建設部より昭和三十年十二月三十日に金八十七万円、昭和三十一年四月二十日に百六十七万二千六百十三円を受領するや、前記義務に背き、前記四団地の請負工事の労務者以外の者である石塚武夫、南谷一三、奥田孝一の利益を図り、当時既に同組合会計係音成豊比古による被害金額百万円に上る組合資金横領事犯が発覚しており、これが早急なる填補は不可能にして、若し開発建設部より受領した前記請負工事代金を前記横領金の填補として他の用途に流用するならば、前記佐藤等に対しては早急なる工事代金の支給配分が不可能となり、同人等に損害を加えるに至るべきことを熟知しながら、(一)昭和三十一年三月六日頃肩書居宅において、前記石塚武夫に対し、前記工事代金中より金二万円を同人に対する農林漁業資金として交付し、(二)同年五月二日頃、前同所において前同人の妻ヤヱに対し、前記工事代金中より金一万七千九百七十円を石塚武夫に対する前同資金として交付し、(三)同年四月二十日頃、幌加内村役場において、南谷周一に対し、前記工事代金中より金四万円を同人の長男一三に対する住宅補助金として交付し、(四)同年五月二日頃、前記役場内の同開拓農協事務所において、奥田孝昭に対し、前記工事代金中より金二万六百円を同人の弟孝一に対する営農資金として交付し、以て前記佐藤等に対し、財産上の損害を与えたものである。」と謂うにある。

よつて審按するに、被告人が昭和三十年四月一日から雨竜郡幌加内村開拓農業協同組合(以下協同組合という。)組合長理事の職にあつたこと、昭和三十年十二月三十日頃及び昭和三十一年四月二十日頃の二回に亘り、札幌開発建設部(以下建設部という。)より支払われた幌加内地区農地開発建設工事普通客土工事請負代金合計二百五十四万二千六百十三円を被告人において保管中、昭和三十一年三月六日頃より同年五月二日頃までの間に、内金九万八千五百七十円を、石塚武夫外二名の農林漁業資金等に充当支出したことは明白である。そこで右客土工事請負契約の当事者及び請負代金の性質を検討するに、証人松橋孝光、吉田良吉、磯野鶴松、木下美秀(第一、二回)の当公廷での各供述、札幌開発建設部長高橋敏五郎より深川警察署長宛の捜査関係事項照会に対する回答書、契約書写を綜合すれば、建設部で取扱う客土工事は開拓農地等の泥炭地に客土を施して土壤を改良し、以つて農業生産力を増強せしめる国の一施策であり、工事を実施すべき区域は国が選定し、国費を以て支弁するもので、国の行政機関たる建設部長が支出負担行為担当官として発注者となり、協同組合その他有力な土建業者に請負わせ又は市、町、村等の自治体に委託するのを通例としているところ、本件で問題となつている幌加内地区農地開発建設工事普通客土工事も、前記の例に従い建設部長が発注者となり、協同組合自体が請負つたものであること、もとより請負人たる協同組合が同工事を実施するには、労務者を必要とすべく、そして右労務者は開拓部落の遊休労力を吸収し、農民に営農資金獲得の機会を附与する見地から、主として現実に客土工事を受ける農地所有者及びその家族等を稼働させる方針であつて、この点から右農地所有者等は客土工事の実施による地力の増進と稼働による労務賃金の収入という二重の利益を受けることになるが、前者は国の施策による反射的利益であるし、また後者は協同組合と労務者との別個の雇傭契約に基くものであつて、労務者と発注者たる建設部との間には一切関係なく、従つて建設部から協同組合に対して請負代金が支払われた後、同組合がこれを如何なる使途に支出しようと、特にその内請負工事の諸経費に幾何を支出し、労務賃金に幾何を支出するかは自由であり(尤もその支出が不当であれば、爾後建設部から協同組合に発注しないという事実上の不利益を招来することはあり得る。)建設部の関知しないことを認めるに十分である。証人木下美秀(第一回)、吉田良吉の当公廷での各供述によれば、国が客土工事を実施すべき地域を選定するには、開拓農民等の陳情を勘案すること及び建設部と協同組合との間に客土工事請負契約を締結するに当り、その準備として、建設部、協同組合の職員、協同組合所属団地の団長、客土を受ける農家等が相協力して、客土面積、その図面、労務環境に関する資料等を蒐集し、建設部において設計図を作成することが、また証人伊藤千歳の当公廷での供述、草刈空知の司法警察員に対する供述調書によれば協同組合が本件客土工事を請負うに当り、被告人が予め組合理事会等に附議することなく、独断で締約したことが認められるけれども、かような事実は前段認定の妨げとなるものではない。証人広末公士の当公廷での供述、同人の検察官に対する供述調書には、本件客土工事は協同組合が請負つたものでない旨の供述又は記載があるけれども、同人は請負契約に立会したものでなく、契約当事者が何人であるかにつき正確な認識を有していたとは認め難いから、右供述等は措信しない。

以上の認定事実で明白なとおり、本件客土工事は本位的訴因にいうように、被告人がヤウンナイ、下幌加内、新成生、平和の四団地の代表者として、右四団地のため形式上協同組合名義を以て請負つたものでなく、名、実ともに、換言すれば客観的には協同組合自体が請負つたものであるから、請負人たる協同組合が請負代金を収納することにより、その所有権は一応同組合に帰属するものというべく、建設部が協同組合又は四団地の代表者たる被告人に対し、労務者に支払方を委託したとか、協同組合又は被告人が労務者の委託を受けて建設部から受領したとかいう、いわゆる委託金の性質を具有しないから、被告人が右金員を協同組合の他の債務に充当支出しても(このことは当公廷で審理した証拠により明白である。)業務上の横領罪を構成するとは断じ難い。また予備的訴因にいうように、被告人は協同組合長理事として、本件客土工事に従事した労務者に対し、労務賃金支払の業務に従事するとしても、それは協同組合が労務者を雇傭した法律効果の一面として賃金支払債務を負担している事実と被告人の組合長理事たる地位に基き必然に発生するものであり、被告人が右の業務を労務者から委託されているとは解せられない。すなわち、被告人は協同組合自体のために前記事務を処理するもので労務者のために処理するものではないのである。しかも請負代金が協同組合の所有に帰属する以上、必ずしも右金員中より労務賃金を支払わなければならぬものではなかろう。協同組合が客土工事に従事した労務者に対し、賃金不払の事実があれば、雇傭契約に基く単なる債務不履行の責任が残るだけで、労務者に対し、組合長理事たる被告人が背任罪の責任を負ういわれもあり得まい。

要するに被告人の所為は公訴事実の本位的、予備的両訴因にいう犯罪の、いづれの構成要件も充足しているとは断じ難く、結局公訴事実はその証明がないことに帰着するから、刑事訴訟法第三百三十六条により被告人に対し無罪を言渡すべきものとする。

(裁判官 太田実)

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